哲学ノート悠三堂日乗

ネイサンが教えてくれたこと

3年前の夏のある夜。仕事の帰り道。近くの公園のベンチでオーストラリア人が一人でビールを飲んでいた。何の気になしに声をかけた。なぜだか知らない間に、一緒にビールを飲んでいた。変哲の無い夜に、僕はネイサンと出会った。

夜の松塚公園。何の変哲の無い公園が僕らの夢の語り場であった。当時僕はUSJでカメラマンのアルバイト。ネイサンは幼稚園の英語の先生をしていた。波乱に満ちた23歳のオーストラリア人の来し方を一通り聞いた後、もっぱらの話題は、spiritualityについてであった。Life is amazingを口癖の様に言っていたネイサン。彼にとってのspiritualityというのはいかに人間らしく自由に生きるかということであったように思われる。頑張って磨き抜いて得るものが精神性だと思っていた僕にとって、それは新鮮な考え方であった。
ある秋の夕方、ネイサンと僕は近くの天野川のほとりをあるいていた。草むらの中の石に腰を下ろして、とめどなく流れる川面を眺めながら、3つの彼にとっての信条を教えてくれた。
No judgement ー 人を裁かない。

No Labeling ー 人にレッテルを貼らない。

No expectation ー 期待しない。
そうして僕らはSpiritualityを広めるためにNGOを作ろうとした。GLOBAL HAPPINESS。世の中の全てのものを幸せに。

秋の終わりぐらいに、ネイサンから連絡があった。どうやら奥さんとうまく行かなくて、家を飛び出したとのことであった。大阪の天王寺動物園のすぐ近くのホテルに移り住んでいるとのことであった。ホテルの自転車を借りて、暗い街の中を疾走した。勢いに任せてめちゃくちゃなスピードで疾駆するネイサンについていくのが大変だった。行き着いた先には立派はお寺があった。門の前にはホームレスらしき人が寝転んでいた。いつものノリで気安く話しかけると、彼は徐に立ち上がって、コートの前を広げてみせた。驚くべし、痩せた男の胸にブラジャー。一目散に逃げ帰った。そして、大きな声を出して笑った。

LIFE LESSON.これほどに人を楽しませることが上手な人に僕はであったことがない。秋と冬の境目のある夜。僕とネイサンは、天王寺のホームレスのたまり場に、ビデオ片手に自転車で乗り込んだ。日本の光と影を紹介するビデオを作るのだと意気こんでいた。最初は逡巡していたが、意を決して、ホームレスにインタビューをすることに決めた。正体がばれないように、ぼくは中国人なまりの日本語を話して、あくまで通訳という立場を決め込んだ。ネイサンが話す。僕が通訳をする。雰囲気は悪くない。寒い夜のことである。歌がうまいということで、ネイサンがエルヴィスプレスリーを歌いだすと場が一気に和んだ。顔の強ばりが消えて、穏やかな表情になった。笑い声があって、そこには輪があった。信じられないことなのだけれども、その夜、僕らはホームレスにビールを振る舞ってもらい、家に遊びにこないかと誘われた。ホームレスに家があるってどういうことなのだろう??
奥さんとの間がこじれてきて、離婚の話し合いに、通訳として呼ばれたのは、12月に入ってからのことだったと思う。JRの天王寺駅の喫茶店。向かいに奥さんとそのお父さん。隣にネイサン。僕だけが、他人であった。話し合いの始めからムードはぴりぴり。少しでも緩和されるようにと、滅多に食べない、抹茶ぜんざいを注文したのだが、誰もにこりともしなかった。お父さんが切々と訴える。その隣で奥さんはだまりんぼ。おそらく通訳が悪かったからなのであるが、話し合いは平行線。2時間ぐらい時間が過ぎたのだろう。奥さんがネイサンの携帯をまっぷたつにして、話し合いは終わりを告げた。天王寺から新今宮まで、ネイサンと歩いて帰った。途中、王将に寄って、夜ご飯を食べた。たらふく中華を食べた。「人には誰でも生まれながらに持っている宝があるんだ。」とネイサンが話しだした。「りょうたろう、君に与えられた宝は何か分るか?」。「おそらく、組織を組織することが上手なことだと思うけど。」と答えた。「いや、場を和ませる力だな。」嬉しかったなあ、この言葉。
思い出は尽きぬほどあって、僕がやっていた自然農法の圃場に毎回違う女の子を連れてきてくれたことや、イスラエル人の女の子やルワンダの女の子と飲んだこと。大阪城で走り回ったこと。潤一さんや洋平さん、ウサギ田君と一緒に遊んだ日。
ネイサンの故郷、オーストラリアのアデレードを訪れたのは、2009年の12月の半ば頃であった。お母さんが胃がんであるということを、出発前にネイサンから聞かされていた。メルボルン、シドニーと旅を続けて、お母さんに会いにいかなくてはという使命感が心の中に萌えてきた。クレジットカードを切って、ユースホステルと飛行機を予約すると、その日の夕方に、シドニーからアデレードに飛んだ。ユースホステルに一泊して、バスで病院に向かった。スムーズにことが運び、ネイサンのお母さんの病室に辿り着く事ができた。ネイサンの友達で日本から来たということを説明すると、とても喜んでくれた。息子の自慢話しを聴き、病院食を一緒に食べて、病院を出た。

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