自分が好きなことと家族が喜ぶこと
父の病気と家族の力 僕の父がまだまだ働き盛りの30代の前半に、もともと持病であったアトピーが悪化して、2年間会社を休んでいた時期がありました。父はほとんど会社にも行けず、その間ずっと寝たきりの生活を送っていました。僕と妹は小学生の低学年で、一番下の弟はまだ幼稚園にも行っていない幼児でした。家計を支えるために、母はアルバイトを掛け持ちし、小さい納豆を三人の兄弟で分けて食べたり、イワシの干物を一匹買って、家族で食べたりしながらなんとか生活をしていました。
その時はいろんな学校の備品も買えなかったり、惨めな思いもたくさんしました。それでも家族は仲良く、父は仕事に復帰する前に「みんなに辛い思いをさせたけど、誰1人、僕を責めることはなかった。みんなを誇りに思う。」と言っていました。
そうなった時は家族しかない
その後、今まで以上にバリバリと働くようになった父。単身赴任を重ねながら、順調に仕事も行っていたようです。念願の大阪に帰ってきて、数年で、今度は肺がんと診断されました。肺がんが見つかった時には、すでに手術不可能なステージ4の状態でした。限りある人生を家族と精一杯過ごしたいと、アメリカに母と一緒に妹の卒業式に出るために行きました。父の兄弟との旅行に行ったり、農業してみたり、父は最期まで弱音を吐くことなく、家族の時間を充分に楽しんで、54歳の短いそして充実した人生をやりきりました。
父が思いっきり人生を楽しんだ時間は、僕ら家族にとってもかけがえのない豊かな時間になりました。その時無職だった僕も父と仕事について、人生について、ゆっくりと話をすることができました。僕の選択にいちいち文句を言わなかった父。お金の豊かさはもちろんですが、父と過ごした時間が人生の豊かさを教えてくれた気がします。
大事にしていることからしか大事にしてもらえない
家族が幸せになってほしいという思いから、外での役割を果たすことに一生懸命だった父と母の世代。自分自身の体や健康を若干犠牲にしつつも、頑張ってくれたその姿に敬意を示しつつも、僕は少し違う働き方や生き方を模索してきました。
父が人生の最後に見せてくれた、自分が楽しむことで家族を喜ばせるあり方。自分がワクワクすることで、家族が喜ぶことを自分の仕事にし続けられるようにこれからも考え続けるつもりです。本当に大事にしたものからしか大事にしてもらえない。僕が働けなくなったとき、重病になったとき、最後に支えてくれるのは家族であり、心の支えになるのは、僕らが過ごした楽しい時間なのだと父が教えてくれました。
貧しかった経験が宝
これからの時代、もしかしたら稼げない時代が来るかもしません。収入が減っても、生活が苦しくなっても大丈夫と僕が思えるのはきっと若い時に貧しい体験をしているかもしれません。家族で大変な時代を乗り切った経験が、家族の絆をより一層強くしてくれたように思います。
お金がないことで買える経験が僕を強くしてくれたように思います。小さな喜びをちゃんと喜べるように心を耕しつつ、身近にあるものを大事にしていきたいなと思っています。
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