怒らないという設計
怒らないという設計
お茶刈りの、いちばん大きな山を越えました。難所を刈り切って、無事に着地する。ほっとすると同時に、こういう時期は、疲れがいちばん出てくる頃でもあります。
疲れると、怒りっぽくなる
正直に書きます。体が疲れてくると、僕は感情が怒りっぽくなります。これは長いあいだ、僕自身の課題でした。
怒らないでいること。それが自分にとっての、ひとつの修行だと思ってきました。そして怒らなくなっていくにつれて、会社も、自分自身も、静かに成長していくのを感じています。
けれど最近、大事なことに気づきました。怒りを我慢で抑え込むのは、たぶんいちばん消耗するやり方だ、ということです。
我慢は、下流の戦い
怒りが湧いてから、それを抑える。これは、湧いてしまった後の「下流」で戦っている状態です。力ずくで蓋をするから、余計に疲れる。そして疲れれば、また怒りっぽくなる。
体が疲れる→怒りが湧く→我慢で抑える→余計に疲れる→また怒りが湧く
この悪循環を、僕は長いこと回っていたのだと思います。
手を打つのは、上流
だとすれば、手を打つべきなのは「上流」です。
怒らないという結果を、いきなり意志で取りにいくのではなく、その前提条件を整えておく。そもそも怒りが湧きにくい状態を、先につくっておくということです。
同じ「怒らない」でも、我慢して怒らないのと、怒りが湧かないように整えておくのとでは、使う体力がまるで違います。
前提条件は、三つの安定
では、その前提条件とは何か。今の僕には、三つ見えています。
①身体の安定 ②精神の安定 ③人間関係の安定
この三つが揃っているとき、怒りの感情はあまり湧いてきません。豊かに、静かに暮らせる。
逆に言えば、怒りっぽくなってきたと感じたら、それはこの三つのどれかが揺らいでいるという知らせです。怒りそのものと格闘するより、この三つの土台を見張っているほうが、ずっと効くのです。
いちばん最初に置くのは、身体
三つの中で、いちばん最初に置くべきは、身体だと思っています。まず、疲れないこと。
体が疲れていると、心も揺れやすくなり、人との間にも角が立ちます。逆に、体さえ整っていれば、多少のことは受け流せる。身体は、土台の、そのまた土台です。ここを外すと、あとの二つも崩れやすくなります。
怒らないことを、「設計」の問題として扱う
これは、僕がふだん大事にしている順番の話と、まったく同じ構造をしています。
結果の手前には、仕組みがある。仕組みの手前には、土台がある。「怒らない」という結果を、意志の力だけで取りにいこうとしても続きません。その手前にある土台——十分に休むこと、疲れをためないこと、静かにいられる時間を暦の中に置いておくこと——を整えてこそ、修行そのものが進んでいきます。
幹がしっかり責任を背負っているから、枝が自由に伸びていける。それと同じで、身体という土台が整っているから、心が穏やかでいられる。怒らないことを、精神論としてではなく、農や経営と同じ「設計」の問題として扱う。そうすると、ずいぶん見晴らしがよくなります。
派手さや激しさではなく、静けさを豊かさと呼ぶ。豊かに、静かに暮らすこと。それはきっと、僕が自然とともに目指してきたものと、同じ場所にあります。
まずは、疲れないことから。今日も、無理をしすぎない一日にします。
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