7月 07, 2026

お茶が結ぶ、文化を超えた交流

悠三堂による
お茶が結ぶ、文化を超えた交流

先日、地域の小学校を訪ねる機会をいただきました。

きっかけは、海外から来ている研修生のひとりが、ふと漏らした一言でした。「学校に行ってみたい」。せっかくなら日本にいる間に叶えてあげたいと思い、ダメ元で小学校に問い合わせをしてみました。ありがたいことに、受け入れを了承してもらえたので、二人で子どもたちに会いに行ってきました。

低学年と高学年、二つの教室にお邪魔しました。特別な準備は、何もしていきませんでした。今回は、フランス語や英語、日本語を交えた自己紹介から始まって、後半はみんなでゲームをして遊ぶ。でも、だからこそ子どもたちは全身で楽しんでくれました。かっちりと組んだプログラムよりも、その場の空気で転がっていく時間のほうが、きっと「本物の出会い」として、子どもたちの中に残るのだと思います。

僕たちにとって、海外の人と触れ合うこと、英語を通じて話すことは、もう日常になっています。けれど、幼い頃の出会いが、どれほど大きな刺激になるか。僕自身がそうでした。小学生の頃、フランスから来た男の子が、同じ教室で一緒に過ごした時期があります。ほんの短い期間でしたが、あの時間が、僕にとってフランス語を学ぶ原体験になりました。

だとすれば、あの日の教室にいた子どもたちの誰かにとっても、あの一日が、いつか振り返る小さな原体験になっているのかもしれません。


そして僕には、お茶があります。

異文化交流というと、どこか空中戦になりがちです。けれど、目の前に茶葉があって、一緒に手を動かして、ひとつのものをつくる——その共通の作業があると、交流に芯が通ります。言葉が完璧に通じなくても、手と手で伝わるものがある。お茶が間に立ってくれるから、教えることも、交流することも、自然と成り立っていきます。

面白いのは、それが一方通行ではないことです。こちらが教える立場になることもあれば、海外の人の感性から、こちらが刺激をもらうこともある。お茶を挟んで、その両方向が行き来する。場と作業さえあれば、交流は狙わなくても滲み出てくるのだと、いつも感じています。

自然栽培のお茶は、僕にとって、人と自然をもう一度繋ぎ直すものでした。けれどこうして見ると、それは人と人、文化と文化を繋ぎ直すものにもなっている。お茶の役割が、また少し深いところで広がったように思います。


こうした学びを、これからも広げていきたい。そして僕たち自身がそうすることで、子どもたちや、地域の人々に、こういう機会を還元させていただきたい。ずっと、そう思ってきました。

溜め込むのではなく、分かち合う。それは自然経営の芯にある考え方ですが、その相手は、協働してくれる仲間だけではありません。次の世代や、この土地に暮らす人たちにも向いているのだと、改めて感じています。

もちろん、誰にでもできることだとは思っていません。研修生や、海外から来てくださる方の素質にもよりますし、どこまで広げられるかは、まだ検討している段階です。だから今は、制度にしてしまう前に、機会があるごとに、まず味わってみる。そのくらいの距離感が、ちょうどいいと思っています。

味わう、という言葉が、僕にはしっくりきます。研修生にとっても、子どもたちにとっても、僕たち自身にとっても、まずは味わう。楽しむ。


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