悠三堂の歴史 2014-2015

FOUNDER'S STORY — 01

30歳、無経験の僕が
自然栽培の農家になれた話

①自然栽培を始めるまでのこと編

株式会社悠三堂 礒崎遼太郎

はじめまして。株式会社悠三堂の礒崎遼太郎です。
奈良の大和高原で、無肥料・無農薬の自然栽培によるお茶作りをしています。

畑もお金も経験もなかった僕が、どうして自然栽培の農家になれたのか。少し長くなりますが、始まりの話をさせてください。

第一章

サラリーマン家庭で育った

僕は大阪の枚方市で育ちました。祖父の代からのサラリーマン家庭。父方は全員サラリーマンで、まさか僕が農家になるとは、誰も思っていませんでした。今でもすごく不思議がられています。

幼少期の写真

昔から勉強が好きでした。一人でコツコツできるものが好きです。大阪の私立高校を出て、東京の早稲田大学へ。専攻は東洋哲学、卒論のテーマは「初期仏教の哲学的発展」。5年かけて、やっと大学を卒業しました。

学生時代の写真
第二章

24歳、自然栽培との出会い

初めて自然栽培に出会ったのは24歳のとき。大学をなんとか卒業したものの、就職活動もせず地元でブラブラしていた僕に、自然栽培を実践されていた宇野さんが声をかけてくださり、1年間、米作りを教えていただきました。

田んぼに入って草をとり、稲を刈る。「なんて健康的な生活なんだ。これで生活できたら最高だな」——当時はふんわりと、そう思っていました。

その後、世界の各地をまわり、農的な暮らしの素晴らしさと自由の空気を吸って、生きることの素晴らしさを実感しました。

旅先での写真
第三章

30歳、無経験のまま就農

2014

団体職員を経て、2013年に半年だけ、友人のお茶農家のもとで研修。2014年、独立して30歳で就農しました。

就農と言っても、畑があったわけではありません。実態はほぼフリーター。その年の6月に、6年間結婚の約束をしていた彼女と結婚しました。お金もなく、地位もなく、希望しかなかった僕と結婚してくれた奇跡の女性です(笑)。その先見の明には今でも驚きます。

その後すぐに第一子の妊娠がわかり、僕はいきなり家族を背負って、ほぼ無経験のまま自然栽培で身を立てなくてはいけなくなりました。

結婚当時の写真

畑がないまま、
僕らの自然栽培は始まりました。

第四章

畑ゼロからのスタート

2014年、私たちは畑がないまま自然栽培を始めました。

農業だけではとても生活できなかったので、自然栽培の生産者ネットワークの土井さんに声をかけていただき、その関西事務局の準職員として雇用していただきました。ネットワークの仕事を手伝いながらの兼業農家を、約2年半続けました。

先輩たちと流通の改革や生産者の勉強会を企画するなかで、たくさんの学びと出会いがあり、生産者への思いも強くなっていきました。一方で、自分で設計したシステムで業務が大幅に効率化し、僕のやることがなくなってきました。AIが人の仕事を奪うように、自分の作ったシステムに自分の仕事を奪われました(笑)。

事務局時代の写真
第五章

三人の恩人

渥美さんに声をかけていただき、協力者の山本緑郎さんがされていた田んぼと畑を貸していただけることになりました。技術も教えていただきながら、お茶作り、水田、畑——小さいながら、基本を学ばせていただきました。

借りた田畑での作業

そして2014年の交流会で知り合った宇治田原町の木原さんに、お茶畑を紹介していただきました。この小さな畑が、僕らのお茶作りの発祥の地になりました。

宇治田原町のお茶畑
お茶作りの発祥の地となった、宇治田原町の小さな茶畑

土井さん、木原さん、渥美さん。自然栽培のネットワークを通してこの三人に出会えたことで、僕らの自然栽培の形ができはじめました。

第六章

六畝の田んぼから

2015

2015年2月、長男が誕生。ますます農業を頑張るしかなくなりました。

長男誕生のころ

今は亡き細永さんに助けていただき、たった六畝の小さな田んぼから、僕らの自然栽培は始まりました。当時はまだ車も持っていなかったので、車も出していただいていました。

六畝の田んぼ

初めての宇治田原町でのお茶の収穫。この年は、ほうじ茶だけを作りました。

初めての製品
初めての製品。可愛らしいデザインで子どもたちに好評でした

初めての製品ができあがったときのこと。可愛らしいデザインで、子どもたちにはとても好評でした。ただコストがかかりすぎていたので、翌年からはもっと安くできるデザインに変更しました(笑)。

畑もお金も経験もなかった僕らの自然栽培は、
人との出会いに支えられて動き出しました。

②悠三堂のこと編へつづく

悠三堂のお茶を見る