新しい半農半Xを求めて ──悠三堂という一本の樹
悠三堂という一本の樹―幹=自然栽培で立つ/枝=Xで創造する/土=自然経営
序章
雨が「休め」と言ってくれた三日間
六月の終わり。春からの農繁期を、ようやく駆け抜けました。
一番茶の引き取り、お茶刈り、田んぼの目割りから田植えへ。三月から六月までの数ヶ月、ほとんど止まらずに走り続けてきました。そして最後の最後に、台風が来ました。大雨で、二日も三日も畑に出られません。
普通なら「仕事ができない」と焦るところです。でも今年は違いました。雨が降った瞬間に、「あ、休めってことだな」と、すっと切り替えられたのです。木曜、金曜、土曜と、ゆっくりさせてもらいました。こんなに休めたのは、今年に入って本当に久しぶりです。
そして面白いのは、休んでいるあいだも、仕事のほうは止まらなかったということ。刈って、つくって、流していく。その流れが回り続けてくれました。「休む=止まる」じゃなくなったのです。これはたぶん、今年いちばん大きな手応えだと思います。
子どもが四人いて、家族がいます。だから僕は、放っておくと一生働いてしまう自分に、ちゃんと上限をかけられます。「ゲームは一時間まで」と言われないと、ずっとやり続けてしまう。その制約こそが、実は全部の根っこにあります。
問い
新しい半農半Xを求めて
休みながら、働き方のことをずっと考えていました。
僕らのやっていることは、よく「半農半X」と呼ばれるものに近いです。農をやりながら、もう一つの何か(X)をやる、という生き方ですね。
でも、考えれば考えるほど、それとは少し違う気がしてきました。よくある半農半XのXは、結局のところ「食い扶持を稼ぐためのX」なんだと思います。生活費の責任を、Xが背負っている。だから、Xを楽しみたくても、どこかで「これで稼がなきゃ」という緊張がついて回ります。
悠三堂は、そこが決定的に違います。生活の基盤、つまり生活費を生み出す責任は、収益性のある農業(お茶と米)が、それ自体で引き受けています。 農が、ちゃんと一つの経営として立っているのです。
だからXが自由なんです。稼ぐという仕事から、Xが解放されている。
この一行の逆転だけで、もう別物だと思います。だから僕は、古い半農半Xの枠からは一度降りて、新しい半農半Xのかたちを求めていきたいと思っています。
枝の出どころ
Xは、自然栽培の経営から生まれてくる
ここが、いちばん伝えたいところかもしれません。
僕らのXは、外から取ってきて貼り付けたものではありません。自然栽培の経営をやっていく中から、自然と生まれてきたものなのです。
お茶を深く突き詰めていくと、その文化的な延長線上に、茶道があります。発酵や醸造の世界をのぞけば、日本酒があります。お茶を誰かと分かち合いたくなれば、カフェになります。学びを伝えたくなれば、協会になり、YouTubeになります。
どれも「さあ次は何で稼ごう」と考えて始めたわけではありません。自然栽培という幹を育てていたら、枝がひとりでに伸びてきました。だからバラバラにならない。全部、一本の幹から出ているからです。
動機
大金持ちになりたくて、農家になったわけじゃない
正直に言うと、僕らは大金持ちになりたくて農家になったわけではありません。
ただ、自然を通して学びたかったのです。土や水やお茶と向き合いながら、毎年あたらしいことを教わっています。その学びそのものが面白くて、ここにいます。
そして気づいたのは、その学びが、次のXを産むための装置にもなっているということです。自然から受け取った学びが、茶道になり、酒になり、カフェになり、人との出会いになっていく。学べば学ぶほど、新しい枝が生まれます。
お金を増やすために枝を増やすのではありません。学ぶために農をやっていたら、結果として枝が増えていった。順番が、まるごと逆なんだと思います。
構造
悠三堂という一本の樹
そう考えると、僕らの全体像が、一本の樹としてきれいに立ち上がってきます。
土は、自然経営。 すべての根がここに張っています。自然経営とは、ひとことで言えば「自然から学ぶ経営」のこと。自然から学ぶ姿勢を土台にして、自由と規律のどちらも手放さず、自分たちで節度を設けながら、それでいて楽しむことを忘れない。最小限で暮らし、自給自足し、余りは抱え込まずに仲間と分け合う。この思想が、すべての土壌になっています。
自然経営とは
- 自然から学ぶ経営であること
- 自然から学ぶ姿勢をもつこと
- 自由と規律、その両方を持つこと
- 自分たちで節度を設けること
- 楽しむことを忘れないこと
幹は、自然栽培。お茶と米。 生活の基盤です。収益性をもって、責任を背負う部分。ここが太く立っているから、上の全部が安心して伸びていけます。
そして幹と枝のあいだに、古民家というHQ(本部)が、太い節として座っています。 カフェもそこでやる。茶道の月一の会もそこでやる。インターンや客人を泊めるのもそこ。撮影もそこ。お茶を飲む場も、酒を醸す場も、人が集う場も、最終的に古民家という一つの空間に集まってきます。内と外が交わる結節点であり、全ての枝が宿る器です。
枝は、X。楽しむことが、そのまま創造になっていく部分です。 ここが二つの方向に分かれています。
ひとつは、内向きの枝(深める)。 茶道と日本酒。お茶を突き詰めるほどに、滲み出てくる枝です。古民家もここに含まれます。
もうひとつは、外向きの枝(広げる)。 カフェ、日本自然茶協会、古美術商、YouTube。人と出会い、伝え、ネットワークをつくり、文化として残していく。外に開いていく枝です。
内に深める楽しみと、外に広げる楽しみ。両方あるから、深さと広がりが同時に出ます。
これから
幹が責任を背負うから、枝は自由に創造していける
これからの季節は、僕の暦でいう「成長期」に入ります。農繁期を駆け抜けて基盤が立ったから、ここから先は、枝をどう楽しむかの設計です。
若者をどう育てるか。自分の子育ても含めて。そして、アートと、古美術商として、どう向き合っていくか。どれも「稼ぐ」という話ではなく、「どう楽しく深めていくか」という話として置けます。
新しい半農半X。農で立ち、自然から学び、その学びが次の枝を産んでいく。たどり着いたのは、シンプルな一行でした。
幹が責任を背負うから、
枝は自由に創造していける。
これが、悠三堂という一本の樹のかたちです。
悠三堂 ・ 自然経営
Leave a comment