2020年の新茶が始まりました。

30歳、無経験の僕が自然農法の農家になれた話し①自然農法を始めるまでのこと編

サラリーマン家庭で育ったこと
おはようございます!私は礒崎遼太郎と申します。秀明自然農法を始めて6年目の専業農家です。まず、サラリーマン家庭で育った僕が新規就農で自然農法の農家になれてしまった話をさせていただきたいと思います。

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僕は大阪の枚方市というところで育ち、祖父の代からサラリーマンを営んでいる典型的な昭和のファミリーで育ちました。父方は全員サラリーマン、まさか誰も僕が農家になると思っておりませんでした。今でもすごく不思議がられています。昔から勉強が好きでした。一人でコツコツできるものがとても好きです。大阪の私立高校を出て、東京の早稲田大学へ。大学では東洋哲学を専攻しており、卒論のテーマは「初期仏教の哲学的発展」でした。5年かけてやっと大学を卒業することができました。

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そんな僕が始めて自然農法に出会ったのは、24歳の時、初めて1年間自然農法のお手伝いをしたことがきっかけでした。大学をなんとか卒業したものの、就職活動もせずにブラブラと地元でしていたときに、自然農法を実践していた宇野さんに声をかけていただき、1年間米作りを教えていただきました。田んぼに入って草をとったり、稲刈りして、「なんて健康的な生活なんだ!これで生活できたら最高だな」と当時はふんわりと思っておりました。その後、世界の各地に言って、農的な生活の素晴らしさと自由の空気を吸って、生きることの素晴らしさを実感しました。

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その後、団体職員を経て、2013年に半年だけ友人のお茶農家のところで研修。2014年、独立して30歳で就農。就農と言っても、特に圃場があったわけではなく、いわゆるフリーターみたいな状況に。その年の6月に、6年間、結婚の約束をしていた彼女と結婚。彼女は、お金もなく地位もなく、希望しかなかった僕と結婚してくれた奇跡の女性です。(笑)その先見の明に驚きます。その後、すぐさま第一子の妊娠がわかり、僕はいきなり家族を背負って、ほぼ無経験のまま自然農法で身を立てなくてはいけなくなりました。

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②自然農法を始める。

2014年、私達は、圃場がないまま自然農法をはじめました。最初は農業だけではとても生活できなかったので、秀明自然農法ネットワークの土井さんに声をかけていただき、秀明自然農法ネットワーク関西事務局の準職員という形で雇用していただきました。秀明自然農法ネットワークのお仕事を手伝いながら、兼業農家を約2年半ほどまで続けました。先輩達と流通の改革や生産者の勉強会を企画させていただき、たくさんの学びと出会いの中で、生産者への思いも強くなってきました。自分で設計したシステムで大幅に業務が効率化したことによって、僕のすることもあまりなくなってきました。AIが人の仕事を奪うように、自分の作ったシステムで自分の仕事を奪われてしまいました(笑)

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また、渥美さんに声をかけていただき、山本緑郎さんという協力者の方がされていた田んぼと畑を貸していただくことができました。技術も教えていただきながら、少しづつ学ばせていただくことができました。お茶作り、水田、畑。小さいながら基本を学ばせていただくことができました。

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ありがたいことに、2014年の秀明自然農法ネットワークの交流会で知り合った宇治田原町の木原さんにお茶畑を紹介してもらいました。この小さな畑が僕らのお茶作りの発祥の地になりました。土井さん、木原さん、渥美さん
秀明自然農法ネットワークを通して、この3人に出会わせていただいたことで、僕らの自然農法の形ができはじめました。

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2015年の2月に長男が誕生。ますます農業を頑張るしかなくなりました。

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今は亡き、細永さんに助けていただき、たった6畝の小さな田んぼから僕らの自然農法は始まりました。このときはまだ車を持っていなかったので、車も出してもらってました。

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はじめての宇治田原町でのお茶の収穫。この年はほうじ茶だけ作りました。

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初めての製品ができあがりました。可愛らしいデザインで子どもたちにはとても好評でした。ただコストがかかりすぎていたので、翌年からはもっと安くできるデザインに変更しました。