juillet 06, 2026

自然と生活に寄り添うお茶作り

Par 悠三堂
自然と生活に寄り添うお茶作り

お茶には、二種類あると思っています。

一つは、玉露や抹茶に代表される「特別なお茶」。覆いをかけ、特別な条件で育て、特別な淹れ方で、特別な場面でいただくお茶です。茶の湯の文化とともに磨かれてきた、日本茶の華やかな系統です。

もう一つは、「日常のお茶」。私たち日本人が、畑仕事の合間に、食事とともに、何気なく飲んできたお茶です。条件も作法も求めず、ただ暮らしのそばにあり続けたお茶。京番茶やほうじ茶として、長く日本人の毎日を支えてきました。

いま、世界が見ているお茶

いま世界的に注目を集めているのは、前者の特別なお茶です。抹茶を中心とした需要は海外で大きく伸び、供給が追いつかないほどになっています。

けれど振り返れば、この特別なお茶も、国内では長いあいだ人気があったとは言えませんでした。玉露を丁寧に淹れる人も、家で抹茶を点てる人も、少しずつ減り続けてきた。外からの光が当たって、ようやく息を吹き返した系統だと言えます。

一方の日常のお茶は、ペットボトルの普及とともに、「急須で淹れる」という習慣そのものが家庭から消えていきました。お茶は今も飲まれています。けれどそれは「買う飲みもの」になり、淹れる文化としては、静かに途絶えかけています。

失われたのは市場ではなく、所作なのだと思います。だからこちらは、需要が戻ってきても、簡単には戻りません。

悠三堂は、季節で作り分けます

では、特別なお茶と日常のお茶、どちらを選ぶのか。

私たちの答えは、「季節が選ぶ」です。

春、一番茶の季節には、覆いをかけて抹茶や特別なお茶をつくります。そしていま、六月の終わりから七月にかけての季節には、日常のお茶をつくっています。

ここで少し、自然栽培ならではの話をさせてください。

一般的な茶園では、一番茶を摘んだあと、肥料の力で新しい芽を吹かせ、二番茶、三番茶と収穫を重ねていきます。けれど自然栽培の茶畑では、肥料で木を急かすことをしません。ですから、二番茶・三番茶というものは、悠三堂では収穫しないようにしています。

その代わりに、春に芽吹いた一番茶を、そのまま育て続けます。梅雨の雨を受けながら、茶の木自身の速度で、ゆっくりと葉を充実させていく。そうして育った葉を、この季節に摘む。それが、悠三堂の日常茶です。

木のリズムに沿えば、自然とこうなります。春は特別なお茶、夏は日常のお茶。市場の流行で決めるのでも、こちらの都合で決めるのでもなく、茶の木の一年が、二つのお茶を生んでくれます。

注目を引かないお茶こそ

正直に言えば、この日常茶は、人の注目を引くお茶ではありません。抹茶のように世界の話題になることも、「すごい」と言われることもない。

けれど、寄り添うというのは、本来そういうことだと思うのです。

空気や水が注目されないように、生活に本当に溶け込んだものは、意識されなくなります。毎日そこにあって、何気なく飲まれて、気づかないうちに体を整えている。飲んでいる人が、そのお茶のことを特に考えていない——それこそが、日常茶にとっての成功の形です。

注目を引かないお茶は、劣ったお茶ではありません。役割を全うしているお茶です。

お茶は、健康になるためのもの

そもそもお茶とは、飲んで健康になるためのものでした。日本にお茶が伝わったとき、それは薬でした。

けれどいつからか、お茶の評価軸は、旨味や甘み、水色の濃い緑といった、味と見た目の物差しに変わっていきました。その物差しのどこにも、「飲む人の健康」は入っていません。

私たちは、旨味や濃い緑を強調することが、飲む人の健康と本質的には関係がないと考えています。それよりも大切なのは、自然と人間のつながりを、日常的に取り戻すこと。

自然栽培の茶の木は、肥料で膨らまされていません。その土地の土と、雨と、光だけでできています。それを毎日飲むということは、毎日、その自然を体に通すということです。つながりというものは、特別な日に一度だけ結ぶものではなく、毎日繰り返されることで、はじめて取り戻されていくのだと思います。

これが、お茶農家としての私たちの、いちばん大切なミッションです。

目指すのは、高い評価ではなく

ですから、悠三堂の自然栽培のお茶の本質は、高く売れることでも、世間的に高い評価を得ることでもありません。

もちろん、そうした挑戦をしないわけではありません。けれど順番があります。まず思想があり、哲学がある。それを深めていくことで質が上がり、その結果として評価がついてくる——かもしれないし、こないかもしれない。評価は結果であって、目的ではないのです。

本質は、いまこの季節につくっているような日常茶を、安定的に供給し続けられること。

日常のお茶にとっての品質とは、美味しさや希少さである前に、「いつもそこにあること」だと思うからです。途切れないこと。毎年、毎季節、ちゃんとつくられて、ちゃんと届くこと。派手さのない「安定」こそが、寄り添うお茶の条件です。

二つのミッション、一つの願い

悠三堂には、二つのミッションがあります。

一つは、耕作放棄地に近い、みなさんが栽培を諦めた畑を借り受けて、自然栽培に転換し、世界に届けていくこと。新しい産業を、新しい形でつくり続けていくことです。

もう一つは、日本人が培ってきた日常茶としての自然茶を、つくり続けていくこと。五月、六月に特別なお茶をつくり、そこから梅雨のあいだゆっくりと育った葉で、心と体に優しいお茶をつくることです。

二つのミッションは、別々の畑にあるのではありません。同じ茶の木の、同じ一年の中にあります。

そしてどちらのミッションも、貫いているものは一つです。

人々が自然とつながること。自然の味を楽しむこと。それによって、体が整い、健康になっていくこと。

世界に届く抹茶も、何気なく飲まれる日常のお茶も、届けているものは同じです。

それが、私たちが本来望むべき姿だと思っています。

 

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